代理ミュンヒハウゼン症候群を知っていますか?@代理ミュンヒハウゼン症候群研究ブログ

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代理ミュンヒハウゼン症候群の2例


日本大学小児科、中村綾子先生他による報告です。


2005年2月の日本小児科学会雑誌に掲載されていたものです。


<概要>


代理ミュンヒハウゼン症候群とは、小児の症状を大げさに訴え、
人工的に病的状態を作り出して小児に不要な検査、治療を受けさせ、
苦痛を与える身体的虐待の一型である。


我々は代理ミュンヒハウゼン症候群の2症例を経験したので報告する。


【症例1】


2歳1ヶ月の男児。


発熱、下痢で過去2回の入院歴あり。


今回も同様の症状で入院した。下痢は入院後に増悪し、中心静脈栄養管理
を要した。下痢の軽快後経口摂取を開始するとすぐに下痢が再燃した。


全身状態と検査所見とは矛盾し、母親の下痢に対する激しい訴えは
続いていた。


母親は付き添いで入院管理していたが完全看護にした頃からは明らかな
下痢は出現しなかった。その後、下痢の再燃はなく食事も経口可能になった。


母親は次第に面会にも来なくなり、離婚と親権放棄を希望した。


【症例2】


2歳6ヶ月の男児。


車内で無熱性痙攣が出現し、近医を受診した。患児の兄が痙攣後に死亡
したために母親が精査を強く希望し当院に紹介入院した。


入院後も無熱性痙攣があったと母の訴えが数回あったが、医療スタッフは
確認できなかった。


他院のケースワーカーから連絡があり、本児はてんかんとして投薬を
受けていた児で入院当日も他院を受診したが、入院させなかったために
医療機関を変えたことが判明した。


入院すると虚偽で入院期間を延長することがわかった。


児相の調べでは、母親の言う既往には偽りが多く、宿泊のために入院を
企図したものと思われた。


【考察】


代理ミュンヒハウゼン症候群の症例報告は少ないが、潜在的には多く
存在することが疑われる。この背景には、医療費の制度上の問題、
社会・家庭環境の複雑化に関係がある。


 ↑

ココまで



ここに報告されている症例1の児については本当に悲惨ですね・・・


中心静脈栄養管理をした・・・ということは、本来、必要のない


侵襲的な処置を受け、さらに、当然、絶食管理だったのでしょうから、


食べたくても食べれない状態にされていたはずです・・・


母親が下剤を服用させていたのでしょうが・・・


こんな風に子供が犠牲になる状況はいたたまれないものがあります。


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小野善郎先生(和歌山県子ども障害者相談センター)の報告


タイトル:「児童虐待における母親の精神障害の影響」

児童青年精神医学とその近接領域(0289-0968)43巻1号
Page19-29(2002.02)


に掲載された報告の概要です。


<概要>

精神障害を持つ母親に虐待された子供に,
母親の精神症状と密接に関連した症状が認められた症例を報告し,
児童虐待と虐待者である親の精神障害の影響との関連について検討した.



症例1の強迫性障害の母親(39歳)と同一の強迫症状が認められた
10歳男児では,共有精神病性障害と類似した病態と考えられたが,
母子分離により男児の強迫症状だけでなく母親の精神症状も寛解した点が
特異的であった.



症例2の抑鬱,希死念慮の認められた11歳男児では,
症状の発現に母親(39歳)の意図が強く反映しており,
代理ミュンヒハウゼン症候群に相当するものと考えられた.



2症例とも社会から孤立し,母子共生的な生活を送っており,
母親の精神症状が直接的に子供の精神症状に影響を与えていたもので,
母子分離も含めた治療的介入が母子双方の治療に必要となるものと
考えられた.


 ↑

ココまで



社会から孤立、母子共生的生活・・・


最近話題になっている秋田の母親が2児を殺害したとされる事件でも、


この母親とその子供は母子家庭であり、母親は周囲との関係もうまくいって


いなかったようですし、やはりこの疾患との関連性が感じられますね・・・


代理ミュンヒハウゼン症候群の病因・背景


ここでは、代理ミュンヒハウゼン症候群の病因・背景について


お話します。




母親自身が養育環境に恵まれず小児虐待の被害者であったり、


自分自身がミュンヒハウゼン症候群の既往を持つことがあります。


精神医学的には、


虚偽性人格障害、


演技性人格障害、


境界性人格障害、


などの人格障害に該当することもありますが、


統合失調症などの精神病であることはまずありません。




※人格障害・・・


 最近、テレビ等のマスコミで盛んに報道されている


 ある母親のことを思い出しますね・・・




父親は子どもの養育に無関心であったり、


長期出張や長距離トラックの運転手であったりして不在で


あることが多いといわれています。




母親自身が医療関係者であったり、自分自身が多彩な病歴を有していて、


疾患、検査、治療、薬物の知識が豊富であるとも多いです。


両親とも社会的地位が高く、裕福で恵まれた家庭においても、


本症候群は発生します。




代理ミュンヒハウゼン症候群の例


ここでは、代理ミュンヒハウゼン症候群とは、いったいどういった疾患


なのかを説明します。




この疾患の場合、母親(まれに他の養育者であることも)が自分の


子どもを重症もしくは難治な病気に仕立て上げ医療機関を受診し、


自らは病児の健気な母親を演じる・・・



(恐ろしいですねー・・・)



「病児の母親を演じること」・・・これが目的化しているわけです。


単に虚偽の症状を訴え子どもに無用の検査・処置を受けさせるものから、


検体に人為的操作を加えて診断困難な検査結果を捏造したり、


さらに薬物の過量投与から、直接的身体的暴力を加えて生命の危機に


至らしめるものまで傷害の程度は軽重多岐にわたります。




そして・・・


これが、この症候群の最も注目すべき点だと私は感じたのですが、


「検査・治療、場合によっては手術・・・
 これら、本来患者のために行なわれるべき医療行為が、
 親の虐待の手段として利用されている・・・


 さらに言えば、我々医療者側が虐待に図らずも加担することになる」


ということになるのです。


これには驚かされました・・・


恐ろしいことです・・・


代理ミュンヒハウゼン症候群の定義・概念



この症候群については、是非知ってもらいたいと思いました。


と、同時に、自分も頭の片隅に確実に入れて置く必要がある症候群


だと感じました。




それでは、代理ミュンヒハウゼン症候群についてです。




この症候群は、1977年、イギリスの小児科医Meadowがこの名を


冠して自験例を報告したのが最初だそうです。




ミュンヒハウゼン症候群では、患者本人が自らの症状を偽装し、


苦痛を伴う医療処置を自らの身体に受けることになりますが、


代理ミュンヒハウゼン症候群では、症状を偽装し、


病児の養育者として、同情と場合によっては賞賛を得るのは


養育者なのです。


しかし、ここで着目してほしいのは・・・


病児つまり子どもは、養育者による症状の偽装とそれを


信じてしまう医療側の医療処置により、


不要な苦痛を被ることになるといことです!


この時点で・・・


養育者(通常は親)は加害者、


子どもは被害者、


という図式が成立することになるのです!


さらにやっかいなのは・・・


この場合、医療者側が行なう医療処置が、


加害行為にあたるということなのです!


医療者側が患者のためと思って行なう医療処置が、


虐待の手段として巧妙に利用されている、


ということが出来ます・・・


これには衝撃を受けました・・・


図らずも医療者側が加害の片棒を担ぐことになるとは・・・







ミュンヒハウゼン症候群の定義・概論

小児科医をしていますが、この疾患について知ったのはつい最近です。


しかし、教科書を読んで非常に興味を持ちました・・・


※日常診療の上で、実は非常に気になっていることがあります。


 それは・・・


 特に母親に多いのですが、


 「子どもの病気を心配するあまり、些細なことでも医者に
  診てもらわなければ安心できない」


 と個人的に印象を受ける方が多いのです。


 熱が出るたび、鼻水やほんの僅かの咳が出るたびに、


 笑顔で走り回れるほど元気なお子さんを病院につれてくる親がいます。


 誤解しないでほしいのですが、むしろこのような親御さんが


 多いのです。単にそのことがおかしいと言っているのではありません。


 しかし、その中にも明らかに程度を越えた・・・


 こちら側の診察所見、及び外観からの印象とは明らかにかけはなれた


 過剰な訴えをしてくる親御さんがいます・・・


 このミュンヒハウゼン症候群や、代理ミュンヒハウゼン症候群という


 概念を知っておかなければ、医療者側としては、見逃す可能性も


 あるのだと認識させられたんです。




それではこの疾患についてお話します。


この疾患は、ホラ吹きのMunchausen男爵に因んだ症候群です。


その特徴を述べてみます。




◆派手な虚偽の症状や病歴を執拗に訴え、医療機関を転々と受診する


◆そして、そこで繰り返し検査や手術を受ける


◆何らかの利益を伴う詐病とは異なり動機は不明瞭


◆症状を偽装して不要な検査・手術を受けること自体が
 目的化しているようにみえる




米国精神医学会のDSM-W及びWHOのICD-10では


虚偽性障害(Factitious Disorder)として位置づけられています。




※虚偽性障害の定義

 1.身体的または心理的徴候または症状の意図的産出、または捏造。
 2.その行動の動機は、病者の役割を演じることにある。
 3.行動の外的動機(詐病のような経済的利得、法的責任の回避、
   または身体的健康の向上)が欠如している。



小児科領域では典型例は稀だそうです。


僕もこの診断名がついている方にお目にかかったことはありませんし、


当然自分で診断をつけた例もありません。


まあ、普通の感覚としては、


子どもがわざとこのような状況を作り出すなんて考えられません。


しかし、これが小学校高学年から中学生のような、


ある程度年齢のいった、そして知能の発達してきた段階であれば、


この疾患は注意しなければならないものの一つだな、と思いました。




しかし・・・


小児科領域での本当に注意しなければならないのは、


Munchausen syndrome by proxy


つまり、


代理ミュンヒハウゼン症候群


であると僕は感じました・・・

ミュンヒハウゼン男爵について

こんにちは。カブトです。


このミュンヒハウゼン症候群の「ミュンヒハウゼン」という名は、
実在した人名に由来しています。

まずは、この「ミュンヒハウゼン」さんについて少しお話しましょう。




彼は、1720年5月11日、
ドイツのハーメルン近郊ボーデンヴェルダー(Bodenwerder)という町で
生まれました。

後に「ほら吹き男爵」のモデルとなる、カール・ミュンヒハウゼン
(Freiherr von Karl Friedrich Hieronymus Munchhausen)の誕生です。



彼は8人兄弟の5番目であったため跡継ぎになる可能性もなく、
15歳の時にブラウンシュバイク公爵という人の元に、
侍従として奉公に出されました。



1737年に公爵の兄でロシアに住むアントン・ユルリッヒ公から、
侍従を少し回して欲しいという依頼があり、
その時にミュンヒハウゼンが指名されてロシアに赴きました。
彼が17歳の時のことです。



当時ロシアはトルコと戦争中で、
ミュンヒハウゼンもこの戦役にユルリッヒ公と共に
参加することになりました。
実は、このトルコ戦役での体験が後の彼の冒険談の序章となります。



1739年、公と共にロシアに戻っていたミュンヒハウゼン
高貴な女性と道ならぬ恋をして、
相手の女性は彼の子供を産んでしまいます。
しかし、その子供はすぐに里子に出されました。
現在、その家系はロシアで存続しているそうです。
(皮肉なことに、ドイツ側の家系は途絶えてしまっているようです・・・)



1740年ユルリッヒ公の妻のアントン・レオポルドヴナが
ロシア皇帝イヴァン6世の摂政に就任します。
するとミュンヒハウゼンは中尉に任命され、
第一連隊を任せられることになりました。

しかし翌年、今度はエリザベータ・ペトロヴナが政変を起こして
ユルリッヒ公とその一族が一斉に逮捕されました。
しかしミュンヒハウゼンはうまく逃げ出して身を隠していました。



1744年(24歳)、彼はアンハルト・ゼルブスカヤ王女
(後のロシア皇帝エカチェリーナ2世)
の儀仗兵に採用されます。
この年、判事の娘のヤコビン・フォン・デュンテンと結婚し、
のちに彼は騎兵隊の責任者にまで出世することになります。



1750年(30歳)、彼は休暇を取り妻子を伴ってドイツの実家に戻りますが、
母や、二人の兄の死もあり、ロシアに戻るタイミングを逸しました。
そうこうするうちに、ロシア軍の方は強制除隊になってしまいました。
結果的に、彼はその後をボーデンヴェルダーの町で
暮らすことになってしまいました。



1760年頃から彼は居城で酒を飲みながら友人達に
ロシアに居た頃の冒険談を語るようになっていました。
彼の話には脚色や誇張なども織り交ざっていましたが、
その内容は非常に面白かったため、
やがて彼の話をまとめた本が出版されたりもしました。



しかしこの冒険談が有名になるのは、
Rudolf Erich Raspe(1737-1794)が1783年に「M-h-sの話」という本を
ドイツ国内で出版してからのことです。

彼はハノーバー出身ということで、
ボーデンヴェルダーの近所でもありますし、
ミュンヒハウゼン男爵の話を直接聞いた1人ではないかとも
言われています。



ラスプは1785年には亡命先のイギリスで一部記述方法などを改訂して
ミュンヒハウゼン男爵、ロシアでの素晴らしき旅と軍役を語る」
という本を出版します。

そして、この後、様々な人がこの本を元に、更に話を大げさにしたり、
あるいは新たな話を加えたりして「ほら吹き男爵の話」は広がって
いきました。

ラスプのすぐ後に出たドイツのGottfried Burger(1747-1794)の本も
有名です。ビュルガーも男爵を直接知っていたようで、
ラスプと同様に自分が男爵から聞いていた話をまとめているそうです。
その後の「ほら吹き男爵」本はラスプ本とビュルガー本の双方から
話を取ったり、更にオリジナルを加えたりしています。

ミュンヒハウゼン男爵は1797年2月22日に亡くなりました。
76歳でした。十分に長生きしたと言えますが、1790年に奥さんに
先立たれてしまった後は寂しい余生を送ったようです。

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